ホームに戻る

日の丸(半旗)掲揚に抗議する(声明)

 東北大学は去る8月15日、文部科学省通知「全国戦没者追悼式の実施について」(7月26日付)にもとづき本部片平キャンパスの北門に日の丸(半旗)を掲揚した。

 昨年までは本学は国立大学として国の機関であり、文部科学省の通知に対していわば自動的に対応する面があったことは否定しない。しかし、4月からは独立して意思決定をする国立大学法人東北大学である。国からの通知にただ従うのではなく、自主的な判断で憲法・教育基本法にもとづいて教育・研究発展のための理にかなった対応をすることが、法人化の趣旨であることは言うまでもない。

 日の丸掲揚については1999年に国旗国歌法が制定される経緯の中でも、またそれ以降も賛否が大きく国論を分けている問題であることは周知の事実である。また国旗国歌法の下でも日の丸や君が代が教育の現場に安易に持ち込まれてはならないことは、政府が明確に答弁してきたところである。まして思想信条の自由の十全な確保の上に立って教育・研究をすすめることを使命とする大学において、日の丸等の取扱いが極めて慎重になされるべきことは当然である。

 日の丸について賛否が大きく分かれる理由として、それがかつて大日本帝国の旗として植民地支配のシンボルとされていた事実があることは言うまでもない。「戦争の評価はともかく、戦没者を追悼するのは当然だ」という考えもときおり政府関係者などに見られるが、8月15日に日の丸を掲げることによって、誰を追悼しているのかを考えてみれば、ことは単純ではないことがわかる。もしも日本人の戦没者のみを追悼するならば、それが平和への誓いにふさわしいかどうかが問われるだろう。アジア太平洋戦争で犠牲になった、中国・朝鮮半島・東南アジアをはじめとするすべての国・地域の人々を含むのであれば、日の丸掲揚がそれにふさわしいかという問題が生じる。日の丸の取扱いは、アジア諸国・地域に対するまなざしとつながっているのである。

 本学は、中国の文豪魯迅が100年前に学んだ場所である。しかも本年はまさに魯迅仙台留学100周年を市民とともに慶賀しているただ中にある。戦前においてアジアの中に深い学問的な信頼を培ってきたことは本学の誇るべき伝統である。今日も多くの学生、研究者をアジア各国から迎え、ともに切磋琢磨しているところである。日の丸と歴史の関係について開かれた議論をすることなく、一片の通達に従って半旗を掲げることは、アジアに広がる信頼関係をよりいっそう尊重していくものとは言えないのではないだろうか。なお、東北大学は、8月22日にも文科省通知「『故鈴木善幸』内閣・自由民主党合同葬儀の当日における弔意表明について」(8月10日付)にもとづき北門に半旗を掲揚したが、上記のような国立大学法人東北大学の自主性及び日の丸のもつ問題性を踏まえると、元首相とはいえ一個人の死去にあたって安易に半旗を掲揚したことはまことに遺憾である。

 国立大学法人東北大学職員組合はこれらの日の丸半旗掲揚に抗議するとともに、今後日の丸掲揚については極めて慎重な取扱いをするよう大学に要請するものである。

2004年9月3日

国立大学法人東北大学職員組合執行委員会


ホームに戻る